ある雨の日。
近隣の村々から略奪と暴力を振りまいていた盗賊たちの下に白い男がやってきて、村の人質として取っていた子どもを奪い取られてしまった。
その子供は村を守ってくれと依頼された冒険者をひどく痛めつけて、やっとの思いで攫ってきた少女であったから、盗賊たちは酷く怒って白い男を嬲り殺そうとしたが、彼は手持ちの不思議な道具とその痩躯から繰り出されるとは思えない力で全員を一人残らず残酷に叩きのめしてしまった。
最後の一人が怯えて泣き喚きながら洞窟の奥でナイフを振り回していたのを銀色の箱で叩き伏せた男は静かにこう言った。
「いやなに、私が留守の間に仲間が世話になったと聞いたのだ。彼と彼女はしばらく動けないのでね、代わりに私が来たのだよ。心配せずとも、命までは取ろうとは思わない。君らが彼らにしたように同じように叩きのめすだけだ。仲間二人が理不尽にも死にかけているというのに、君たちだけ元気だなんて、それはフェアじゃないだろう?」
(彼のクラフターに仲間を庇ってほしかっただけのはなし)
鬱蒼と茂る森の奥には魔物が潜んでいるのがお約束だ。とはいえ御伽噺のごとく超人的な力でもって魔物を退治し人々に崇められるような英雄はここにはいない。
いるのは、血の滲むような努力の末に大成し、星の守護者たる魔女たちの仲間入りを果たした青角の獣人と、道具を扱う効率でもって己のほぼ全てを改造し、冥府の河を泳ぎ切ってきた道具遣いと、死にぞこなった己だけ。
地面に耳をつけて足音を確認していた自分を見下ろして青角の魔女が口を開く。
「フアン、敵の数は」
「足音から察するに三匹。足跡から確認するに二匹は大型種、一匹は術師系統ってところかねえ。靴はいてるし」
「その理屈はどうなのよ」
呆れた顔の彼女を尻目に、目の前の深い暗闇に耳を澄ませる。すれる金属音、甲高い鳴き声、ときおり聞こえるのは不運な動物の悲鳴。
「食事中みたいだよ。突撃するなら今がいいんじゃないか?」
「ではそのように」
何事かを呟いた女――東の果てに咲くという花のような色の髪と深い海のような目を持つ獣人は、清廉なる水を長く伸ばして矢のように飛ばす。ギャッと上がった甲高い悲鳴を合図に獲物を抱えて突っ込めば、そこには水に貫かれて絶命したゴブリンシャーマンと、気の動転したボブゴブリンが二匹。
「援護しよう」
「助かる」
男の手の上で弄ばれ投げつけられた薬瓶から無数の土塊が発生し、ゴブリン一匹を押しつぶす。その隙にもう一匹の首に獲物と手を引っかけて叩き折った。ボキ、と嫌な音を立ててあらぬ方向に曲げられたゴブリンの口から血に塗れた泡が溢れて地面に落ちる。手を離せば音を立てて倒れた。
「お仕事完了」
「相変わらず手際が良い」
「褒めてるのかい、それ」
「褒めているとも」
薄い口の端を少しだけ持ち上げた白い男は、依頼達成の旨を伝えるための証拠をゴブリンシャーマンの手からもぎ取った。
ご苦労さん、という親父の声を背中に三等分された銀貨袋を片手に安っぽい素材で出来た椅子へと座り込む。給仕が持ってきた水を飲みながら、昼間であっても薄暗い宿の中をぐるりと見渡してみた。
いかつい男性たちがたむろする狭苦しい部屋の中、切れかけている照明の下では複数人が賭博に興じている。カードの広げられた机の隣で興味深そうに先ほどの白い男がゲームの行方を目で追っていたが、やがて何事かを呟き頷いて顔を上げ、人々の間を縫ってこちらに近づいてきた。
「報酬だよ」
投げ渡した銀貨袋を苦も無く受け取る男の、唯一黒い義手が鈍い照り返しで輝いている。重さを確認するように二、三回宙へ放っては「南方原産のコーヒー一杯も飲めないだろうな」と唇を引き曲げた。
「常々思うけどね、君は嗜好品に金をかけすぎじゃないかい?」
「嗜好品は娯楽だ、娯楽とはヒトの活力にもなる。ここぞという時に私がやる気をなくした場合、君はどうするのだね」
「なるほどね、それは大いに困る」
「だろう? なら多少の豪遊は目を瞑り給え。会計係としては頭が痛いだろうが」
言った傍から給仕へこの店唯一の甘味とコーヒーのセットを頼む男の目の前で盛大に溜息をつく。
「嫌味を言われるのは君ではなく私なんだけどなあ」
「聞き流すと良い。彼女だって本気で困っているのならば君を介さず直接私に言うだろう。……思うに、彼女は君へ文句を言うことでストレスを発散している」
「私は彼女専属の聞き役じゃあない」
「それこそ言いたいことがあれば彼女に言うべきだと思うが」