「コレは古いお話なんですけどね?」
夜間警備の依頼というのは、やはり暇を如何に潰すかが肝要になってくる。
篝火は弾ける音を立てながら煌々と燃えていた。明るい火の下でリーゼルは木片を弄んでいて、片手に握った小ぶりのナイフを動かすたびに何かを浮かび上がらせていくのが不思議でたまらず、ぼんやりとその様子を眺めながら、頭上を流れていく星のようによく通る声を聴いている。
手持無沙汰だろうと荷物袋から引っ張り出した小説は、読みさしのページにしおりを挟んで脇に置いた。文字を追うよりも、声の主が語る物語を聞いていたかったのかもしれない。
「あたしの生まれ故郷には、魔女が棲んでいたんですって」
「魔女?」
「そう。ずっと昔、ヒトがヒトの輪郭すらも持たなかった時代の支配者だったモノたち。彼らに似せてあたしたちは作られた。そんな存在が故郷には棲んでいたとか」
仲間達が身を休ませる湖岸の近くでは風が草木を通り抜ける音しかせず、狼や熊などの狂暴な獣もいない。穏やかな夜半に大きな火傷痕の残る傷だらけの細くて小さい左手が、木片を削っていくのを見ている。
まだ傷薬は余っていたか考えながら荷物袋を漁れば、行きがけに立ち寄った村で貰った軟膏が出てきた。後で塗ってやろうと本の上に置く。
「ある時、魔女は土地の領主さまと恋に落ちたそうです。二人は大層仲睦まじく、領民たちも二人を祝福した」
「幸福な話だ」
「だと思うでしょう?」
彫った箇所をさらに削って滑らかにしていけば、だんだんと形が見えてくる。
「でも悲劇だからこそ語り継がれる。領主さまは魔女を裏切ってどこかへ行ってしまった」
「何故」
「ひとつは、己とは全く違う価値観の魔女が恐ろしくなったから。もうひとつは、悪いヤツにたぶらかされたから」
いつの間にか彼女の手の中に木彫りの蟲が現れた。小さく薄い羽を広げて今にも羽ばたかんとする様は、届かぬ自由を求めてもがく様にも似ている。
「蟲とて甘い水を好みます。領主さまにとって、魔女は苦い水だったのでしょうか」
「苦すぎて、少々胃に堪えたのかも知れないな」
自身の経験に照らし合わせて答えれば、意外そうに首を傾げて、すぐに合点がいったのか呼気を震わせる。
「君ではないのですから」
喉の奥で笑って先を促す。木彫りの蟲をひっくり返して凹凸の加減を見ながら彼女は続ける。
「裏切られた魔女は領主が治める地に呪いをかけました。ヒトや獣を蝕み、作物を枯らせ、土地を腐らせる。その心労が祟って領主は死に、あとには悪いヤツだけが残った。そいつは魔女に赦してくれるように頼みこんで……そして、魔女は赦したんですよ」
「赦したのか。……随分寛大だな」
「代わりに悪いヤツの大事なものを根こそぎ取り上げていっちゃいましたけどね」
「因果応報、寝物語にありがちな話だ」
薪が爆ぜる音は止まず、木彫りの蟲が出来上がっても見上げる空は黒かった。
不意にリーゼルが口を開く。
「ねえ、レベリアさんならどうしますか」
「何を?」
「あたしがどっかに行っちゃったら」
「必ず連れ戻しに行く」
そうですか、と彼女は泣きそうな顔で笑った。