幽霊になった救国の騎士の心残り。
K.W様作「秩序の盾」の三次創作妄想怪文書。
救国の騎士、討死す。
知らせは瞬く間に王国に広がり人々の耳へと届いた。彼を知る人物達は質の悪い冗談だと笑い飛ばしていたが、その想像は悪い形で裏切られることとなる。
女王が正式に彼の死を公表したのだ。
辺境に突如出現した魔物は多くの人々を喰らいながら首都へと近づいていた。国を守るため、または愛した人々を守るため、彼は遠征隊に参加し……戦いの最中帰らぬ人となったと。
国は偉大なる英雄の死を悲しみ、彼のより近くで戦い続けた女騎士は女王の傍で報告を受けて身を震わせた。女王を始めとした多くの上層部の意向により彼の国葬は大々的に執り行われ、彼を慕う民たちは皆こぞって押し掛けた。
灰色の分厚い雲で覆われた空の下、白い花で囲まれた大通りを顔をヴェールで覆った黒い服の一団が棺を抱えて歩いていく。
道を作る人々は項垂れてその死を悼む。葬列に付き添った気丈なる彼の副官ですら涙を禁じえず、すすり泣く声があちらこちらから聞こえた。
葬列が向かう先は王国の大聖堂。見上げるほどの白く絢爛な入り口を抜けた先、極彩色のステンドグラスがはめ込まれた窓から降り注ぐ光の中でその棺は下ろされた。彼に救われたという司祭が葬儀を執り行い、多くの関係者が彼を見送った。
女王は涙にくれる臣民たちへと言葉を掛ける。
「泣いてばかりではいられません。彼が守ってくれた国を、今度は私達が守る番です」
「陛下……」
騎士は一言も発さず、また、眉一つとして動かすこともなく。
「流石氷の女だ、戦友が死んだってのに将軍は涙ひとつ見せないとはね」
「言ってやるな、誰よりも心を痛めているのは将軍なのだ。何しろ遠征隊には入れて貰えなかったと聞く」
「女王の警護で手が離せなかったんだったか?」
貴族の娘は棺に取りすがって泣いた。
「何故、あの方が……!」
誰もが嘆いた、誰もがもう動かぬ彼を前にして声を震わせて頬を濡らした。
――ただひとり、聖女と呼ばれた少女を除いては。
「変な気分だな、自分の死に顔を眺めるなんて」
「……」
少女の後方で男が嘯く。彼女にしか見えていないソレは、恩人であった男の姿をしたソレは、己の葬式を至極楽しげに眺めているのだった。
◇
「どうして、まだいるんですか?」
ひとりきりになりたいからと案内してもらった客室で少女は――聖職者としての立場を持つものから、不浄なるものへの態度としては些かどうかと思わないでもなかったが――問いを投げ掛けた。
目の前に浮かぶ人の形をしたソレは、比較的整った顔を歪めてひとしきり大声で哄笑する。
「さあな、こればっかりは神様に聞いてもらうしかない。ちょっとお前聞いてみろよ。敬虔なるお前の言葉なら届くかもしれん」
「私は真面目に聞いているんですよ!」
「ああわかったわかった、そう怖い顔するな。かわいい顔が台無しだ」
へらりと笑う顔は昼間、棺の中で花に囲まれていたあの男だった。
「御霊は神の元へ」
「塵は塵へ還れ、だろ? だが俺も本当にわからんのさ、なんでこんなことになったのか」
「強い執念こそがゴーストを生むのです。心残りでもあったのではないですか?」
「心残りねえ……お前のことが心配で戻ってきた、ってのはどうだ」
「……」
「なんだ、大きなお世話だったか?」
「心配して留まるくらいなら、死ななければよかったのです」
少女が言い放てば、男は目を細めて口を閉ざした。
透き通るその胸には人の腕の太さほどの風穴が空き、衣服は赤黒い血で生々しく光っていた。人である男の、本来そこにあるはずの足ですらどこにも見当たらない。
――騎士は死してなお、王国に留まっていた。
「私を庇って死ぬなんて」
「お前が無傷でよかったよ」
「ご自分の立場がおわかりでしたか? 貴方は統率者でした。指揮官が私情で命を投げ出すだなんて」
「だが、お前は兵士じゃないんだぜ、聖女様。故郷から遠く離れた皆の心の拠り所、お前がいるからこそ兵士たちは前線でその力を発揮できた」
「貴方とて期待される役割は同じだったはずです!」
「違うさ。少なくとも俺がお前を守って死ぬことで上がる士気もあった」
辺境の魔物は個であり群だった。いくら英雄が付いていると言えども、数で攻められれば大きな差が出る。その差を埋めたのは兵の士気に他ならず、事実男が倒れてからの兵士たちは皆鬼神のごとき戦いぶりを見せた。
男の死は文字通り、国を救った。
用意されていた水を一口飲み込んだ女は、しばらく躊躇ってから口を開いた。
「……私を庇うなんて思いもしませんでした」
転がった言葉を男は拾うこともせず、そっと視線だけで問いかける。
「貴方はきっと国のために、女王のために死ぬのだろうと思っていたから。きっと平和と安寧の下、勝手な理由でその身を盾にして、勝手な理由で居なくなって、そうして満足げに死んでいくのだとばかり思っていたから。だから、あの時。血に塗れた息の下で貴方が言った言葉は呪いのように私を蝕んでいる」
「惚れた女に想いを告げずに逝けるほど潔癖じゃないさ」
微笑んだ男を女は表情の読めない顔で眺めた。奇しくも今日は新月、黒々とした窓の外に光るのは町の人々が生活する明かりだけで、暗い影になった女の表情は精巧な彫像の様だった。
「シスター、頼みがある」
握り締めた華奢な手に短く切りそろえた爪が食い込む。その様子を全部知っていながら、男は優しく言葉を紡いでいく。
「俺を浄化しろ」
「騎士の魂は、聖女の祈りによって天に返る。まさに騎士の最期にふさわしい筋書き、この世に未練がましく残ってしまった男の最期の我儘だよ」
「私の手で、貴方を送れって言うんですか……」
「そうとも」
「本当に……身勝手です。貴方だけ満足して」
「知らなかったのか? 俺はお前が思っているより身勝手で酷い人間だ。冒険者ってのは、大体が身勝手だが」
「私を置いていくんですか」
沈黙が下りる。女の足元にひとつ、ふたつと水滴が落ちた。
「また、置いて、いくんですか」
「連れていきたくないんだ」
男に向かって駆け出した少女の身体は鈍い音を立てて空しく床に倒れ込んだ。
肩を震わせ声をあげ、濡れる床を血のにじむ拳で叩き続ける。その傍で佇む男は慰める言葉も手も持たなかった。
「……ひどい、ひどい人!」
「そうとも」
微笑んだ男を見上げて、聖女は涙を流す。
「(これが私の恋だというのなら、あまりにも惨い結末です、神よ!)」
開け放した窓から闇夜に響く鳥の鳴き声が聞こえる。低く鳴り響いている声が聞こえなくなるまでの間、ふたりはずっと黙っていた。
「どうかシスター、この俺の身勝手な願いを頼まれてくれないか」
「愛していたんだよ、お前を」
◇
「……こうして、聖女は英雄の魂を神の御許に送ったと伝えられています。聖女が何を思い英雄の魂を送ったのか、また、死した英雄がなぜ聖女にだけその姿を見せたのか……答えは歴史の波に溶けたのでしょう」
ナレーターがそう話を締めくくる。
しとやかな音楽と共にスタッフロールが画面下に流れ出し、六畳一間の空間を満たす。大きく伸びをした青年はテレビから目を離して、背後に佇む影に問いかけた。
「我ながら三文芝居以下だったな。そう思わないか、フェリシア」