慕情は墓場まで


 娘が死んで一月が立っても、男が立ち直ることはついぞなかった。

永く長く生きる竜の女はそれもまたヒトだという証拠だと笑って赫い翼でどこかへと飛び立って行ってしまった。夜には戻ると言っていたから、どこかで依頼でも受けたのだろう。燃えるような髪色の従者とその主人は男を心配していたが、己たちにできることは何もないのだと悲しげに首を振って宿を出ていった。あとに残された己は、辛うじて冒険者としての職務を果たしている男の傷を時間が癒してくれるのを待っている。

 

――リーゼルが死んだ。

 

死んだ、という表現は正しくないかもしれない。あの娘は殺された。娘の死を心から望み、悼む人々のために殺された。生きていたいと叫びながら、それでも。

娘の最期の悲鳴が今もまだ己の耳にはこびり付いている。ヒトではなく、何者でもなく、悍ましい何かになっても、それでもなおヒトの意識を持ち続けた断末魔が。己さえこうなのだから、男の胸中は如何ばかりか。目の前で恋人を喪った男は何も語らないまま日々を眺めている。

前から酷い隈だったがあの日を境にさらにひどくなった。顔色も、憔悴しきった光の無い眼も、ますます悪くなるばかりだ。

 

 ◇

 

依頼を終えて宿に戻れば、男が暗がりに隠れるようにして隅の席に座り込んでいた。

目の前には魔術書や古代文献の数々が乱雑に置かれ、手元には細かく乱暴な筆致で書かれたメモが置かれている。眠れているのか、と問えば「だったら何だ」とだけ言ってかき集め、部屋へと閉じこもった。

「ありゃ相当キテるなァ」

帰ってきた仲間を振り返れば首をすくめている。その表情が暗いのは、宿の古ぼけた照明が魔力切れで光を弱めているせいだけではない。

「そろそろ強引にでも辞めさせたら? 診療所なら伝手があるよ」

「何回か話したが、この宿を出て別の道を探す気はないようだ」

「けどよお、遅かれ早かれあのままじゃ死ぬぜ?」

「そうだな」

溜息をついて階段の上を見やる。娘の魂が呼び寄せるのか、男からは刻々と生気が失われているようだった。彼女が殺されてからというもの、彼は生きようとしていない。

――せめて、生きていれば。生きてさえいてくれたのならと、ありえもしない遅すぎる仮定に縋りたくなるのは誰もが同じなのかもしれない。

「アイツ、魂半分くらい持ってっちまったんじゃねぇか?」

「……半分と言わず、殆どだろう。あの様子では」

扉が開いて冬の冷気が吹き込んでくる。入ってきた人物の赫い外套が風に煽られて膨らみ、銀色の長い髪も風で煽られて広がりかけた。奥の厨房から早く閉めろと亭主が叫ぶ。北風に煽られて音を立てる扉をさして苦労もせずゆっくりと閉めた赫い外套の女は、靴についた雪を落とした。

「カタジナ、降られたか」

「ついさっき。山の方は吹雪だった」

「もうじきここも降るねえ、それは」

「ここンところ毎日雪だな」

「寒くてやってらんないよ」

嘆息したハンクを横目に、暖かなスープを人数分頼んで窓際の席へと腰かける。憔悴しきった顔が浮かんで、どうせまともな食事をとっていないだろうと、結局下りてくることのなかった男の分を部屋に持って行くために一通り温めなおしてもらうまでの間、暗い闇に覆われて静寂を降り積もらせた交易都市の街並みを何するでもなく眺めていた。

「(結局、俺はお前を見殺しにしたようなものだよ、リーゼル。俺は知っていたのだ、お前の立場を、お前の命の意味を、お前の凝った血の事を。そんな俺がどうして卿を止められるだろうか。俺よりよほど、彼はお前の幸せを願っていたというのに)」

 

 ◇

 

男が姿を消した。

宿の亭主に聞いても知らぬという。あまりにもひどい状態だったから、もしかしたらという可能性があった。全員で探したが、馬車の乗り合い所に行く姿を見かけたのが最後だった。

ここのところ毎日古い文献を漁っていたようだから、おそらくは魔術絡みだろうか。過去に得手としていたという死霊術でも使う気なのかもしれないが、一体どうやってあの娘を取り戻すのだろう。身体も魂もヒトとは異なるものに変容してしまったというのに。

考え事にふけっていれば、階上からランドルフが渋い顔で降りてきた。脇に抱えられているのは地図や調理器具などといった必需品の入るパーティ共有の荷物袋だ。

「やられた。旦那、地図まで持っていきやがった」

「残しものは?」

「手紙があった。悪いが貰っていくとよ」

貰う、という言い回しに眉をしかめる。あの男は本当に取り戻す気でいるのか、ヒトではなく化け物になり、冥府の住民となった娘を、死の腕から。

「どうする、セティ。追いかけるか?」

「卿が行くとすれば守護都市。……また行く羽目になるとはな」

「二度と行きたかねぇ場所だったがね」

「同感だ」

それぞれ階上から降りてきた他の二人にも話をする。やはりと眉をしかめてすぐに準備にかかるハンクを見送り、カタジナは竜の眼の奥で炎をチラつかせる。

「手遅れかもしれぬ」

 

 ◇

 

過去に埋没する。それは得難い安息のようなものだ、朝に目覚めて布団の中で微睡むようなものでもある。同情を舐め合い思い出に寄り添い生きてゆく、過去を永遠とする。人によっては現実逃避だと詰りもするだろうが、己にとっては希望に見えた。

古い文献を調べるたびにわかったのは、魔女に取り込まれて一体化してしまった贄を取り戻すことはできないという事実だった。混ぜ合い、溶けあい、一つになる。胎の中で溶かされた贄はもう二度と取り込まれる前と同じ状態では戻ってこない。

 

だが、違う状態であるならば?

 

取り込まれてしまった彼女自身を諦めることは己にとって身を切られるかのように苦しい選択だったが、それでも彼女の思い出であり残滓をこの手に取り戻すことができるのならば。

きっとそれを縁として彼女自身も取り戻せるはずだ。

「着きましたよ」

御者の声に気づいて微睡から浮上する。久しぶりに足を踏み入れた白い霧の立ち込める地は、己を歓迎しているようには見えなかった。

 

  ◇

 

「何をしに来たのですか……!」

眼孔をぽかりと黒く開けた女は己を認めるなり開口一番そう言った。周りを跳ね回っていた白い犬はどこにも居らず、代わりに小さな十字架が庭に植えられているのが見えた。もう見えぬ目であっても己の存在は見えているらしい、必要以上に怯える彼女の腹は裂けぬばかりに膨らんでいる。

「いいえ、それよりも。家の者たちはどうしたのです。パンドラ! どこですか!」

豪奢な調度品が誂えられた部屋で親愛なる侍女を呼ぶ声はよく響いた。己から距離を取ろうと後ずさった黒い靴が血だまりを跳ね、その音で何かを察したのか動きを止めた女の、開かれた何もない空っぽの眼窩を見ている。

「……パンドラ?」

「殺したよ、全員」

微笑んでやれば女は細い息を飲んで身を強張らせた。実際、女が踏んだ血だまりは彼女が最も信頼していた侍女のモノだ。アレはそれなりに殺すのに手間取ったが、流す血はヒトと大して変わらないらしい。過たず心臓を貫いた闇の杭は霧散し、吸血鬼はすでに灰になって滅んでいる。視線を彷徨わせるかのように首を振る女の顔を片手で掴んでこちらを向かせた。

「今日ここに訪れたのは他でもない。あの子を貰い受けに来た」

「……ッ、何を言っているのですか? リーゼルはもう」

「貴様があの子の名前を口にするな」

ぴしゃりと言い放てば目の前の女は身を竦めて押し黙る。両手が組み合わされ、魔力が渦巻くのがわかって、苛立ちと共にその両手を文字通り魔術で捻り潰す。醜い悲鳴を遠くに聞きながら、気を失いかける女の意識を医療魔術に依って明瞭にさせていく。

「ああそうとも、リーゼは殺された。彼女の死を何の価値もなく扱う貴様らに殺されたんだ。あの娘の死は俺のモノだったのに貴様らが奪った! ならば、せめて器だけでも。もう必要ないんだろう」

「無駄、です。あの子の魂も器も変容してしまってっ……仮に取り出しても、それは、貴方が扱えるような、死霊術などで扱えるような器にはならない……」

その滑稽な答えに高く哄笑した。ひとしきり笑った後、微笑を浮かべてやって女を見る。

「俺が彼女の身体で人形遊びをするとでも? こんな地獄のような現実で? 冗談だろ」

 

「あの子は眠ってる姿が何よりも綺麗なんだ」

 

 ◇

 

化け物の遺骸は地底湖にそのままの状態で残されていた。黒い湖に腐りもせず残っている得体のしれない何かに触れてみようなどという酔狂な人間がどこにも居なかったからというのもあるだろうが、それ以上に当主のヴォルフラムがその場所に誰かが近づくことを固く禁じたからでもあった。

ネメジスから奪い取った鍵を使ってそこに入り込んだレベリアは、横たわったまま動かないソレを愛おしげに撫で、あるスクロールを展開する。構成術式は破壊と再生。かつて西の家から南の家にもたらされた禁術を行使する男の目的はたった一つ。

「――リーゼ。やっと会えたな。ああ、やっと」

色を失って蝋のように冷えた手足を、もう何も写さない曇り切ったガラス玉のような眼を、糸の切れた人形のように動かない姿を彼は抱き寄せる。白い肉で文字通り再生された娘の形、かつて共にあった思い出の残骸。

「赦せ、赦してくれ、リーゼ。俺はお前を殺してやれなかった。お前に生かされたクソったれな連中にお前の死を奪われて、俺は気が狂いそうだった」

文字通り遺骸から取り出された娘はもう動かない。その躰に命が宿ることなどあってはならない。

だが、確かにレベリアの眼には微笑む彼女の姿が見えた。いつもと変わらない柔らかな笑顔で、自分の後をついて回っていたあの頃と同じように。

「俺はお前を連れ出しに来た。もう、ここにいる理由などないのだから」

黒い水から愛しい娘をゆっくりと引き上げる。用意していた布に丁寧に包んで、そのまま地下を抜け出す男の歩いた端から黒い水が滴り落ちて点々と跡を作った。

亡骸を大事そうに抱えて歩く男の姿は深く濃い夜の闇に紛れて、白い霧があたりを覆った。

 

 ◇

 

「な、んだコレ」

ランドルフの困惑しきった声が広場に響く。陽の光に照らされて子供たちの遊び場となっていた中庭。夜であれば美しく輝く月が幻想的な風景を生み出していた場所に転がるのは、夥しい血が流れた跡に倒れ伏す兵士、苦悶の表情を浮かべて首を掻きむしった侍女、腰から上が吹き飛ばされた肉塊。

「……酷いな、内側から爆発してる」

死体を検分していたハンクが魔術装具の下で眉を顰める。顔色が悪いのはこの場の異様な光景のせいもあるだろうが、それ以上に。

「魔力残滓は」

「……」

「エーベルハルト卿か」

黙りこくるハンクに舌打ちをして当主の部屋へと足を向ける。そこら中に転がっているのは屋敷のヒトたちだけではなく、不幸にも現場に居合わせた守護都市の住民も混じっていた。血だまりに倒れ伏す使用人たちの姿を見て奥歯をすり合わせる、血と死に彩られた屋敷の中をいつの間にか駆けだしていた。

まき散らされた死、血と肉と誰かの悲鳴、苦悶の表情、懇願する声と嘲笑する声。

――同じだ、俺が厭い、憎み、逃げ出したあの古城と!

飛び込んだ先の安楽椅子にはヴォルフラムが眠るように目を閉じていた。体の半分は吹き飛ばされ、足元は赤黒く濁っている凄惨な状態だというのに、ヴォルフラムであったものは穏やかに微笑んでいる。

「……見境が無い」

「あるいは、ここのヒト全てを絶やしていったかもしれぬ」

「何故だ、意味がないだろう」

「意味はない。が、価値はある。医師にとってヒトの死はこの上ない芸術品、その場限りで消費する贅沢な嗜好品だ。ヒトとて花を手折り寄せ集めるだろう、それと一緒だ」

「乱暴な括り方だな」

追いつき竜の眼を見開いたカタジナは辺りを見渡し、視線はある一点で止まった。暗がりから湧き出るように現れたのは、かつて己たちを案内した黒衣の婦人。

「ネメジス!」

聞こえていないのか女は床の上でもがいている。助け起こしてみれば傷も相当深く、息があるのが奇跡に思えた。両手は無残に潰されており、治癒魔術を施してはみるが失われた血の量が多すぎて顔は紙のように白い。何も残らない眼窩をぽかりと開けたまま、女はうわごとのように呟いている。

「あの人が……あの人が死んでしまった……私はいったい……いったい何を」

「駄目だ、聞こえちゃいないよ」

いつの間にか追いかけてきていたハンクが首を横に振った。事情を聴くのは無理だと悟って介抱を任せ、何か手掛かりはないかとあたりを調べてみれば、ヴォルフラムが座っている場所に開かれた日記帳が目に入った。

――やっと姉さんに会える。

白い頁に蒼いインクで、たった一言だけ書かれた文章を見て悪態をつく。

「揃いも揃って自殺願望が過ぎるな! 魔女め、貴様の作った模造品はとんだ欠陥品だぞ!」

「セティ、こっち来てくれ!」

叫ぶランドルフに付いていけば、彼は大広間から続く黒い水滴の跡を指さしている。

闇の中でも見える黒いシミは点々と続き、屋敷を裏口から抜け、高い壁を閉ざす黒い扉に吸い込まれていった。その重々しい扉が開いた先、未だヒトの手が届かぬ未開の地が広がる場所に向かって伸び続けていく黒い跡。何が潜むか分からぬ白い霧の立ち込める只中に、布にくるまれた何かを抱えて立っている人影を認める。

「エーベルハルト卿!」

俺たちが何度も頼りにした影は声に気づいたのか動きを止め、こちらをぼんやりと眺めているようだったが、やがてゆっくりと踵を返して霧の向こうへと消え去った。走り出そうとした目の前で、風もないのに重たい扉が音を立てて閉まる。竜と騎士の腕力をもってしても開かない扉に浮かび上がる術式は、かつて卿が扱った封印術式。

教会の解呪をもってしても容易には解けない紫色の魔術式は、何物をも拒むように光り輝いていた。

「……行っちまったのか」

呆然と呟かれたランドルフにかける言葉を、誰も持ち合わせない。

屋敷の惨状を目にした誰かの悲鳴が、ひりついた静寂に覆われて、薄いガラスを隔てたように曇って聞こえる。白い霧が重たい扉の向こうからじわりと入り込んで、俺たちの足元を覆った。

 

 ◇

 

その後、館の惨状を作り出した輩を見つけ出そうと必死になった騎士団が目を光らせる守護都市から、どのように抜け出したのかもう覚えていない。思い出せるのは白い霧の向こうでこちらを見つめていた人影と、抱えられた小さな姿。色のない世界へと溶けだしていく二人の、最後の姿。

あの男は黄泉路のような長い時を、もう動かない娘と共に生きていくつもりだったのだろうか。死んだ娘を抱えたまま、その死を手に入れることができなかった自分を呪いながら。

「セティ」

魔術砲で引き起こされる爆破音の響き渡る戦場の中、泣きそうな顔のランドルフが覗き込んでいる。先ほどまで一緒にいたハンクもカタジナもはぐれてしまった。吐き出そうとした声は途中で外に漏れだして、呼吸にすらならない。血でぐっしょりと濡れた己の喉元を手で押さえて苦笑して見せれば、目の前の騎士はますますもって顔を歪ませる。

「ランドルフ……カタジナが……」

「もういい、もういい、喋んな」

息を絞り出すたびに手の下にあふれる赤黒い液体を抑えて、痺れる舌を懸命に動かした。何処かでまた魔術砲が轟いて、大地が抉れる音がする。

「……カタジナが……奴らは竜の血を採るために彼女を……ハンクとははぐれた、頼む、ラル……」

「駄目だ、アンタを置いていけるか」

「おいていけ……俺の首とお前じゃ、比べ物にならんさ……」

口の端が慄いて上手く笑えない。燃えるような髪の騎士はたった一筋だけ感情を零すと、その場を立ち去った。近づいてくる鉄靴の足音が己の頭の横で止まる。

「お笑い草だよ。よりにもよって守り人に味方するなんて」

己によく似た反転目を見返す。かつて妹と呼んだ女は、死にかけの虫でも見るかのように手に持った長剣を振り下ろした。

もし、もう一度が叶うのならば、その時は――。