帰らずの遺跡にて


 肉が千切れる音がする、骨の砕ける音がする。金属が弾かれる音がして重い盾が宙へと舞った。衝撃の強さにふらつきながらも、赫色の眼に強敵との出会いを愉しむ戦士の本能を滲ませたゼパルが、凄絶な笑顔で此方を睨み据えていた。

 彼が無神論者で、私が聖北の聖職者であったからだろうか。少し距離を置かれて居た節があったが、同じ宿の仲間同士として依頼をこなしたこともある。魔法を扱う者を相方に据えた戦い方をよく心得ている彼との依頼は、一緒にパーティを組む仲間達とはまた違った連帯感を感じるものだった。
 何かが私の背中に突き刺さり、その強烈な痛みに振り向けば音を立てて倒れるザインの姿、身体の中心に穿たれた大きな風穴の向こうには、魔力の矢を打ち出したチェルが痛みを堪えるような顔をして此方に狙いを定めている。

 見るのをやめて正面を向けば、黒い霧状のものがゼパルの右手にすっぽりと収まって斧の形を取った。
「残念だよ」
 ちっともそんな事を思ってないような口調で彼は言った。その声に愉しさすら滲ませている。

 私は笑顔を返答として、彼はそれで十分だとでもいうように黒い斧を振り下ろした。

(ゼパルとアイン)

 

 ◇


 片腕が真っ黒い炭になるのにさして時間はかからなかった、ほどなくして付け根からぼとりと崩れる。

 目の前で無表情にこちらを見ている少女の肩口には、魔力を纏う黒アゲハが止まっている。
「召喚士とは、聞いて無かったな」
「冒険者よ、わたし。手持ちのカードは隠すものでしょ」
 淡々とした声。その手には赤く脈打つ短剣が握られている。切り付けられた箇所の傷口はすぐに塞がったが、何かを吸い取られた感覚は消えない。じくじくと未だに痛む箇所を指でなぞり、薄く笑う。
「アンタ、良いのかそんなもん使って」
「仲間を守るためなら、神もお許しになるわ」
 硬質な声が紡ぐ呪文で巻き起こる風が少女の髪をなぶる。小さい華奢な体の中で魔力が渦を巻き特徴的な藍色の瞳が煌めく。

 強大な力はたちまち竜巻となり、立ち上る塵が少女の姿を隠して俺は完全に見失う。一本だけ残された腕で視界を守りながら立ち尽くし、気配を探った。
「さようなら、エッジ」
不意に背後から聞こえたその声は、俺の耳を柔らかく打った。

(リグレッタとエッジ)

 

 ◇

 悪趣味だ、と私は思う。

 だってそうでしょ、体に魔力で出来た蟲を飼ってるし、毒蜂の群れを引き連れてるし、腕ほどの長さもある牙に首を食いちぎられかけてる私を冷静な目で観察してる、これを悪趣味と呼ばずしてなんと言おう。見るたびにこの男の生傷が絶えなかったのはそのせいだ、今やっとわかった。
 ――ああ寒い。見れば足元から毒蟲が這い上がってきていて、気持ちが悪い。首筋から流れ出る赤い血がぼたぼたと地面と蟲の上に撒き散らされる。

 男は黙って此方を眺めている。

 何か思案しているようでもあったし、実験道具を点検する魔術師みたいでもあった。

 突き立てられた長剣を中心に、びゅうびゅうと局地的に発生している吹雪は私の手足の自由を奪う。手から離れた杖は地面に転がった。抵抗する力が弱まって蟲どもは嬉しそうに牙を突き立ててくる。召喚したサラマンダーはとっくの昔に帰って行ったあとで、暖かいものは何もない。寒いし痛い。
 視線を横にずらせば、風穴を開けられたザインとひっどい顔をした同じ顔が向かい合わせで立っていた。
「あは」
 笑えば男は片眉を上げた。ソレが面白くて言葉を紡ぐ。
「ひっどいかお、してる。あんたの、きょうだい」
「ああ」

 確認した後、ため息を吐いた。思い出してみれば宿ではいつもそんな顔をしていた気がする、彼のリーダーが何か言った後に。
「姉は優しいですからね」
「あんたは、ひどいのに?」
「だからこそ、でしょうか」
守るために、と嘯いた彼の目が薄く水色に輝いた。